イングウェイマルムスティーン 「変わらない男の変わらない美学」



 イングウェイマルムスティーンの登場はギターシーンはもちろん、ロックシーンにも多大な影響を与え、今尚そのフォロワー達は増えつづけている。
 イングウェイは1963年6月30日、スウェーデンにで生を受けた。
 幼いころの彼はサックスなどの楽器を持っているのが写真で確認されてはいるが、他の兄弟達よりも楽器を真面目にやらなかったという。しかし、6才の頃に(これもいろいろな説があるが。)ジミヘンドリックスがギターを燃やしているところをTVで見てギターを弾きたいと思ったといわれている、また、父親がギターを買い与えたという説もあるが、どちらが先なのかはまったくわからない。
 9才?のころに姉からDEEP PURPLEのFIRE BALLをプレゼントされたことにより、リッチーブラックモアにはまり、すぐさま完全にモノにしてしまったと言われている。また彼を目覚めさせたのはあんまり人気のないDEMON'S EYEという曲で、後にINSPIRATIONというカバーアルバムでもとりあげている。
 イングウェイはリッチーやジミヘンドリックスから基本的なロックのテクニックを習得すると、またまた姉の影響で耳にしていたGENESISなどの曲を聴いたり、リッチーブラックモアが繰り出すクラシカルなフレーズやSCORPIONSでクラシカルな速弾きを披露していたウリジョンロートのプレイに影響を受け、自らもクラシカルなフレーズを使うようになる。

 しかし、彼のもっとも彼らしい個性を確立できたのは、悪魔に魂を売った男といわれたヴァイオリニスト、ニコロパガニーニのCAPRICE24をギターで弾きだしたおかげである。これらの曲をコピーするために彼はスウィープピッキングや今までに類を見ないほどの驚異的な速弾きを生み出し、それらを使い彼なりのロックナンバーを書くようになっていった。
 そして彼はその曲たちを演奏するバンドPOWERHOUSEを結成、地元ではリッチーブラックモアと呼ばれた。そして、このバンドでデモテープを製作したことから、それが当時アメリカでシュラプネルレコードを興したばかりのマイクヴァーニーの元へ、デモテープが流れ、彼はイングウェイをアメリカに呼ぶ。18才の頃であった。
 アメリカに渡ったイングウェイはSTEELERというローカルメタルバンドに加入、そこでデビュー作STEELERを発表する、このアルバムでイングウェイのみせたクラシカルな速弾き、音程差のあるフレーズを凄まじいスピードで繰り出すスウィープピッキングでLAのギターキッズやマニア達にこれ以上とない衝撃を与えた。
 その後、すぐさまSTEELERを脱退し、元RAINBOW〜MICHAEL SCHENKER GROUPのグラハムボネットの新プロジェクトALCATRAZZに加入、デビューアルバムNO PAROLE FROM ROCK 'N' ROLLでも驚異的なプレイと水晶の如き光り輝く音で、今度は世界中のキッズやマニア達を唸らせた。このころから彼のフォロワー達が数多く出現し、シーンは今までにないほど、テクニカルなギターが溢れ出した。彼のフォロワーの中で特に有名なのはトニーマカパイン、ポールギルバートであった。彼らはイングウェイのプレイに強い影響を受けながらも独特の個性を持っていた。このころからイングウェイを中心としたネオクラシカルというジャンルが生まれた。

だが、またまた彼はALCATRAZZまでも脱退してしまうおかげで、後任で入ったスティーブヴァイはリハーサル四時間でステージに立たされるは、物を投げつけられるはと、とてつもなくひどい思いをしまくってしまう。

 そして、イングウェイはソロプロジェクトYNGWIE J MALMSTEEN RISING FORCEを結成、最強のインストアルバムといえる1STアルバムのRISING FORCEを発表、北欧を感じさせるドラマチックな曲の上で水晶のように輝くギターが鬼気迫るように泣く、彼のスタイルを作り上げる。
 その後もMARCHING OUT、TRILOGYといった名盤でも彼の初期に見られる輝くようなギターの舞うドラマチックなHRサウンドが聴ける、またこのころはジェフスコットソートやマークボールズといった素晴らしいハイトーンシンガーの驚異的な歌も聴き所である。
 しかし、彼は水晶のようなギターサウンドを徐々に失っていく事故に見舞われる。彼の運転する車が木に激突し、何日も意識が戻らなかったのだ。また意識が戻った後も手がしばらく動かなかった。幸いイングウェイはリハビリによりギターを弾くことができるようになった。
 その後、イングウェイはジョーリンターナーという元RAINBOWの超有名シンガーをバンドに迎え入れアルバムを製作、このころのイングウェイバンドは最高のメンツであると思う。ジョーにイングウェイ、そしてヨハンソン兄弟、このメンツでODYSSEYを発表、今までのイングウェイより歌を前面に持ち出す作風により、イングウェイでもっとも人気のあるアルバムの一つになった。アルバム製作の途中、最愛の母を亡くしたり、事故にあったりと大変なことがありながら、このような名作を作ってしまうところは驚異としかいいようがない。だがこのメンツもソ連を含むワールドツアーの後に解体、初めてソ連でのライブしたのはイングウェイがライブしたのに、レコード会社がそれをむりやりBON JOVIにしてしまったことや、新しいインスピレーションを求めてのことではなかったんだろうか。

 イングウェイはメンバーを探している間、時間稼ぎでソ連でのライブをTRIAL BY FIRE:LIVE IN LENINGRADとして発表、このアルバムを聴くとジョーのいたRISING FORCEがどれほどすごいバンドであったかをわかってもらえるはずである。
 そして、彼は全員がスウェーデン人のニューバンドを作り、彼の作品でもっとも北欧色の強い名盤ECLIPSを発表。この作品で聴けるヨランエドマンのどこか頼りない歌は後のSTRATOVARIOUSのティモコティベルトなんかに影響を与えてると思われる。
 この後、イングウェイはFIRE AND ICEを発表、このアルバムは日本で初登場1位という快挙を達成するが、このころから彼自身の肥大化、ギターソロの手癖かが進み、ファンにもどこか味気なさを感じさせるようになる。
 その後も順調にアルバムを作りつづけるイングウェイ、元LOUDNESSの歌うマーシャルマイクヴィサーラを迎えて作った彼の人気作SEVENTH SIGN、前作の焼き直しのようでなんだかつまらないMAGNUM OPUS、そして高田延彦のテーマを収録したミニアルバムI CAN'T WAIT、このころにはアメリカにおいて超嫌われ者と認知される。ある雑誌で今年の悪い事というコーナーにおいて、カートコバーンの死などと並んでイングウェイマルムスティーンと名前がボンと並んでいたという。
 その後も、大好きなミュージシャンの曲をカバーしたカバーアルバムINSPIRATION、コージーパウエルの遺作FACING THE ANIMALを発表、コージーがいなくて残念なブラジル公演を収めたLIVEも発表。
 このころにイングウェイは自身の夢であったオーケストラとアルバムを作る企画を実現、CONCERTO SUITE FOR ELECTRIC GUITAR & ORCHESTRA IN E FLAT MINOR OP.1-MILLENNIUM- を製作、一歩退いたイングウェイのギターがオーケストラと合体する様はまさに芸術といえる。
 その後、イングウェイは弾きまくりのアルバムALCHEMY、最大の駄作といわれているWAR TO END ALL WARS、そしてイングウェイとは何か?がまさにわかるATTACK、そしてマンネリの新作UNLEASH THE FURY。
 皆さんここまで読んでくれてありがとうございます。こうやって彼のキャリアを書いているとイングウェイの魅力、すごいとこは頑固に自分のスタイルを守りつづけているところだ。イングウェイはデビュー以来自分のスタイルを守りつづけた、そしてこれからも守りつづけると思う。いくらマンネリの作品を連発しようと、いくら太ろうと、問題発言をしようと、彼は生きた伝説であり、ミュージシャンの中のミュージシャンであると思う。